心にとどく言葉
最近、しばらく会っていない女性からメールをもらった。不思議と相性の合う人なのだが、ご本人は感受性が鋭く、素敵な方である。多分、寂しい思いをしているのではないかと、僕に言葉をかけてくれたのだ。そう、僕は最近、自分をとても大切に思ってくれてきた人と、今生の別れを果たしたばかりだったから。
声をかけたいが、いい言葉が見つからない、それは言葉が難しいから、という。そのとおりなのだろう。時として、本当に何かを伝えたいと思ったとき、人は言葉が見つからない。言葉以上に、強いメッセージを送ろうとしているからなのだろうか。
そこで、彼女は2つの詩を贈ってくれた。詩もいわば、言葉でしか人に贈れないものだが、それでも、行間に大きなスペースがあるので、詩を読むと、自分の「思い」で、その行間を埋めることができる。だから、彼女は、詩を贈ってくれたのに違いない。
日ごろ僕のホームページを読んでくれているあなたにも、この詩を、今度は僕から贈りたい。もともとこの詩を贈ってくれた女性、あなたにも。
みなさんの大切な人への祈りを込めて。
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最上のわざ
この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになう。
若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、けんきょに人の世話になり、
弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること。
老いの重荷は神の賜物。
古びた心に、これで最後のみがきをかける。まことのふるさとへ行くために。
おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事。
こうして何もできなくなれば、それをけんそんに承諾するのだ。
神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ。
手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。
すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と。
*出典: Hermann Heuvers神父が友人から贈られた詩
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「1000の風~残された人へ 」(作者不詳)
私の墓石の前に立って 涙を流さないでください。
私はそこにはいません。
眠ってなんかいません。
私は1000の風になって吹きぬけています。
私はダイヤモンドのように 雪の上で輝いています。
私は陽の光になって 熟した穀物にふりそそいでいます。
秋にはやさしい雨になります。
朝の静けさのなかで あなたが目ざめるとき
私はすばやい流れとなって 駆けあがり
鳥たちを 空でくるくる舞わせています。
夜は星になり、
私は、そっと光っています。
どうか、その墓石の前で泣かないでください。
私はそこにはいません。
私は死んでないのです。
【作者をめぐっては、19世紀末米国に渡った英国人、30年代の米国人、米国先住民の伝承など諸説ある】
